2017/05/23

祭壇画ってなんだ?

Ciao!

前回は、初期のキリスト教画(宗教画)について話したよね。

今回の話も前回と少しかかわってくるところなんだけど、今回は宗教画の中でも特に祭壇画(アルタ―ピース)と呼ばれるものについて掘り下げていくよ。



祭壇画っていうのは、キリスト教教会の祭壇の正面に置かれているパネル画のことで、前回紹介したチマブーエさんやジョットさんの絵も、もともとは祭壇画として描かれた絵だったんだ。


絵といえば、一つの画面が額縁に入って飾られているイメージがあるかもしれないけれど、2枚1組や3枚1組の絵が多いのも祭壇画の特徴だよ。小型で2枚セットのものは折りたたんで持ち歩ける携帯祭壇として使われていたし、大画面の三連画は教会据え置き型で、普段は閉じられていることが多いんだけど、ミサや行事の時には内部の絵を公開するようにしていたんだ。




祭壇画のみどころ

・ド派手な装飾

先ほども言った通り、祭壇画はゴシック期がピークだから、画面は不機嫌系の顔つきの聖人で埋められていることが多い。だから、写実性よりも様式美を楽しむのはもちろんなんだけど、祭壇画の楽しみ方はもう一つあるんだ。何だと思う?

ジョット、荘厳の聖母
Giotto, Ognissanti Madonna, Uffizi
それは、絵の持つ力強い色彩と黄金に輝く装飾部分。上の絵では背景を中心に金色がふんだんに使われているね。



当時の絵というのは依頼者からの発注が来てからの受注生産で、教会からの発注の場合は、絵が教会のどの位置に置かれるのかも受注段階で分かっていたんだ。だから、暗い教会の中にどの方向からどれくらいの光が入ってくるのかまでを綿密に計算して描かれるのが常だった。



たとえば、下の写真はフィレンツェのサンタクローチェ教会の祭壇画と壁面画なんだけど、

サンタクローチェ教会 祭壇
フィレンツェ サンタクローチェ教会の祭壇画
天井まで続く壁面画と一体となっている祭壇画には、圧倒的な迫力があるでしょ?祭壇画は、もともとこういった演出を意識して作られた絵なんだ。

だから、基本的には美術館ではなく、教会に足を運んで見てほしいな。美術館では、妙にギラギラして見えてしまう装飾も、薄暗い教会の中では暗闇の中からふわっと浮き上がってくるように見えて、ちょうどいいバランスなんだよ。それから、遠くからでもしっかりと見える視認性を意識した色使いも、祭壇画の特性を考えるとうなづけるね。


・顧客満足度重視のテーマ性

さらに、祭壇画のもう一つの特徴として、見る者を満足させるためのテーマ性があげられる。

例えば、日本の神社も勉学の神様、縁結びの神様、子宝の神様と来訪者は自分のニーズに合った神様にお参りに行くよね。

キリスト教の場合も基本的にはおなじで、教会の守護聖人ごとに違ったご利益があるとされているんだ。だから、教会内に飾られる祭壇画にも来訪者のニーズがしっかりとに現れているんだよ。

まずは、下の絵を何も考えずに見てみて。

グリューネヴァルト、イーゼンハイム祭壇画
Matthias Grünewald, Isenheim Altarpiece, Unterlinden Museum
え?普通の祭壇画に見えるだって?ちょっと見にくいかもしれないから、真ん中の磔刑図を拡大してみるね。

グリューネヴァルト、イーゼンハイム祭壇画(部分)
十字架での処刑前に茨の鞭で拷問を受けたとされるキリストの体は傷だらけで、ところどころにとげが刺さったままになっている
体中がぶつぶつに覆いつくされたキリストなんて見たことある?指の反り具合とか、脚の血みどろ具合とか、常軌を逸してるよね。
イーゼンハイム祭壇画(部分)

イーゼンハイム祭壇画(部分)

キリストや聖人は基本的には理想化された姿で描かれるものだから、たとえむち打ちの拷問の後処刑になったイエス様であっても、ここまで生々しい傷は描かないのが普通なんだけど、この絵からはそういった理想化なんてみじんも感じられないよね。

むしろ感じるのはおぞましさや禍々しさであって、キリストの苦難を描いたというよりは、死の淵でもがく一人の人間に焦点を当てているのがうかがえるんじゃないかな?

どうして、この絵がここまでも生々しくキリストの苦痛と死を捉えたのかというと、この絵は当時流行していた麦角中毒に苦しむ人々のために描かれたからなんだ。

麦角中毒というのは、麦に付いた菌類によってもたらされる中毒症状で、全身が燃えるような感覚があることから、当時は聖アントニウスの火とも呼ばれていたんだ。この祭壇画の発注主は、聖アントニウスを祀る教会で、麦角中毒の患者の治療にも尽力しており、祭壇画のテーマを選ぶ際にもそのことが強く影響したのは想像に難くないよね。

絵は内陣(一般の参拝者からは奥まった場所)に置かれていたんだけど、患者はすぐそばまで行って祈りをささげることができたんだ。全身を焼かれるような感覚と闘う患者たちは、痛みに打ちひしがれるキリストを見て「私はつらい。でももっとつらい思いをして人の罪をあがなってくれた救世主がいたんだ」と思ったんだろうね。

さらに、この祭壇画は多翼祭壇画といって、開け閉めができる扉の部分が複数あるんだけど、
イーゼンハイム祭壇画の模型
こんな感じで、両サイドの扉絵がパタパタと開く。
美術館ではすべての扉を取り外して展示しているので、上は小型の復元模型。

他の扉絵には聖アントニウスの誘惑というシーンも描かれているよ。
イーゼンハイム祭壇画 聖アントニウスの誘惑
聖アントニウスの誘惑:実際は悪魔による襲撃図
誘惑だなんていうと甘い響きに聞こえるけど、実際は聖アントニウスが瞑想中に悪魔にボコられるというバイオレンス満載のシーンだから注意してね。

聖アントニウスが描かれているのは、教会の守護聖人が彼だからということももちろんあるけれど、彼がこの戦いの後に神に対して尋ねた「神よ、あなたはいったいどこにいたのですか?私がこんなに戦っていたというのに」という言葉も、重要な意味をもっているんだ。

自分たちを苦しみから解き放ってくれる神を待ち望む人たちは、きっと絵の中の苦しむ聖アントニウスに自分の苦しみを重ねたんだろうね。

ただ、結局、聖アントニウスは悪魔たちの襲撃には自らの力で打ち勝つんだ。そしてさっきの質問への神からの答えは「ずっとここであなたを見守っていましたよ」というものだった。
絶賛見守り中な神様
あくまで見守るだけで手は出しません

うーん、このオチは患者さんにとっては結構つらい物だったんじゃないかな?これじゃあ、一番大変な時に頼りになるのは自分だけってことになっちゃうよね。これはちょっと、教会がお客様(参拝者)のニーズを読み違えてたと思うんだけど。

まあ、最後のニーズ読み違い事件は置いておくとして、教会の暗さの中で映えるド派手な装飾や、教会の他のインテリアとの調和に気を遣いつつ、参拝者のニーズにも応えるべくして描かれたのが祭壇画なんだ。


ルネサンス期の祭壇画

祭壇画の全盛期は、前回紹介したゴシック期で、15世紀ごろから徐々に姿を消していったんだけど、ルネサンス期のベネチアの巨匠ティッツァーノさんはいくつかの傑作を残しているよ。代表作は下の聖母被昇天かな。

ティツィアーノ、聖母被昇天
Titian, Assumption of Mary, Santa Maria Gloriosa dei Frari

もちろん、僕もいくつか描いたことがあるよ。
ラファエロ、聖母の結婚
 Raphael, The Engagement of Virgin Mary, Pinacoteca di Brera
この絵は若いころの作品なんだけど、なかなかの出来栄えに舞い上がっちゃって、画面中央に「ウルビーノのラファエロ」ってでかでかとサイン書いちゃった!
ラファエロ、聖母の結婚(部分)
今見ると恥ずかしさしかない堂々たる署名

諌山創先生、進撃の巨人22巻
諌山創先生,  進撃の巨人22巻より
そうそう、ちょっとカッコつけたくなる年頃だんったんだよね・・・ってハンジさん、そんなこと言わないで~!

では、今回はこの辺で。それじゃあまたね。

Ciao!

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