みんなは宗教画って聞いてらどんなイメージを思いうかべるかな?もちろん、西洋絵画界で宗教画といえばキリスト教関連の題材を絵なんだけれども、日本ではキリスト教の教えや世界観があまり一般的じゃないから、絵を見るだけじゃわからないことが多いんじゃないかな?
だけど、西洋絵画では宗教画というのは中心的なカテゴリーで、多くの画家が何世紀にもわたって挑み続けた、いわば「究極のテーマ」なんだ。これを、「よくわからない」で済ましてしまうのはもったいないと思うから、今回は宗教画について少し掘り下げていくよ。
1.初期の宗教画はなぜ無表情?
まず、宗教画で一番とっつきにくいのは、ルネサンス期より前に描かれた無表情で平面的な聖母像とか聖人像の絵じゃないかな?
Cimabue, Virgin and Child, Louvre 13世紀後期 |
ちなみに下の絵が僕が1514年ごろに描いた聖母子と洗礼者ヨハネの絵で、通称「小椅子の聖母」って呼ばれている作品さ。
Raphael, Madonna della seggiola, Palazzo Pitti, 16世紀前半 |
ゴシックというと壮麗な教会建築のイメージが大きいかもしれないけど、絵画界のゴシック様式は壮麗って感じではないかもね。
ゴシック建築の代表例としてよく上げられるパリのノートルダム教会。 壁を支えるフライング・バットレスと先のとがった尖頭アーチが特徴。 |
じゃあ、ゴシック期の画家は絵が下手だったのかというと、決してそういうわけではいよ!絶対に違うからね。うん、大事だから2回言ったよ。
違ったのは、絵に対する価値観なんだ。下の絵はゴシック期よりもさらに古い時代のビザンティン様式の絵なんだけど、ゴシック様式よりさらにかたくて不自然な姿勢だよね。
Unknown, The Theotokos of Vladimir 12世紀ごろの聖母子像 |
当時の価値観では、絵は鑑賞して楽しむものではなく、祈る対象であるということがわかればそれでよかった。今の感覚でいうと、標識に近いかもしれないね。
その後、14世紀ごろから人文主義の考え方がイタリアを中心に西欧社会に浸透していき、絵画もまたその影響を受けて、価値基準が変わっていくことになる。
人文主義というのは、中世の「神中心」の価値観に比べて、もっと人間中心の価値観でやっていこうっていう考え方のことだよ。ただ、決して神をないがしろにするという意味ではなくて、世の中を科学的に考察することによって、人間や神の真理を追い求めようという潮流なんだ。
この考え方が絵画に与えた変化を見るには、1435年に出版された『絵画論』(Leon Battista Alberti著)という本を読めばいいよ。。。なんて言っても、ほとんどの人はめんどくさくってこんな古臭い本を読まないと思うから、内容をざっくりまとめると、画家たちに求められる技術とか心構えは色々とあるけれども、突き詰めていくと、その底辺に流れている精神は「学びというものは、常にすべてを自然から取り入れるべきだ」ということなの。
人生で必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ・・・じゃなかった。「画家に必要なものはすべて自然から学んだ」みたいな。そんなノリだね。
ちなみにこの本(1986年発刊)は昨今の「○○で必要なものは全部△△で学んだ」っていう一連のタイトルのおおもとになっている作品だと思うけど、原題は「ホントに知りたいことは全部幼稚園で習ってた」くらいの意味でしかないからね!なんで「人生で~」って重い感じになっちゃったんだろう?
さて、話がずれたね。絵画論に戻ろうか。ルネサンス期の自然というのは、現代でいう科学と言い換えることもできる。つまり、科学と絵が結びついていくという、今までにない動きが起こったんだ。実際には、本が出版される少し前からすでに変化は始まっていたから、美術史的には絵画の変化は14世紀から始まっていたと言える。
つまり、この転換期の前後では別ルールが適用されているから、そのことを知らないで見ると、不自然さとか違和感を感じるんだ。
さて、ルネサンス期から始まった、「より自然に近く」というアプローチは18世紀まで連綿と受け継がれていくよ。ルネサンス以降も絵を描く上でのお約束がなくなったわけではないんだけど、見た目のドラマチックさとか、素人が見てもわかるような技巧の巧みさが際立つようになってきたから、ルールがわからなくても「お!すごい」というふうに思える作品が増えていったわけ。
そして、18世紀以降の近代美術、現代美術は、写実性より抽象性を、描かれたテーマや物語よりも色彩や造詣そのものにこだわる流れへと変化していくんだけど、それはまた別のお話。
2.中世絵画の味わい方
これまで見てきた通り、ルネサンス期以前の絵は不自然だったり、妙に堅かったりするよね。でも、反対にそれがこの時代の絵の「味」だったりもするんだよね。
まずは、一番目につく「味」は、奥行き感の欠如かな。平面的な印象を与えてしまうゆえんだね。
Duccio, Rucellai Madonna, Uffizi |
椅子に対して奥にいる天使と 手前にいる天使で差がないね |
他にも、人物の大きさのちぐはぐさが気になる人も多いかもしれないね。上の絵では、聖母子が巨人かと見まがう大きさで描かれてるもんね。
これは重要な人物ほど大きく描くというルールに従って描かれているからで、日本の漫画では、今もこのルールを使うことが稀によくあるよね。
武井宏之先生, シャーマンキング(集英社) 最終話より |
上の絵では、①>②>③>④という順番で重要度が高いのがよくわかるはず。3のみかんは小さいようで、実は主人公の顔ほどの大きさが・・・。
話がずれたね。他にも、立派な城塞が、巨大すぎる人物のおかげで狭い小屋みたいになってしまった例もあるけど、これも時代の「味」だから、こういうもんだと思って味わってね。
Duccio, Christ and the Samaritan Woman, Thyssen-Bornemisza Museum |
ゴシック様式の宗教画は、写実性の面での正確さには欠ける一方で、独特な様式美に従っているということはわかってもらえたかな?
そう。ゴシック期の美術は、写実性ではなく様式美こそを愛でるべきなんだ。さらに、独特の雰囲気を持つ様式が少しずつ崩れて、より写実的な表現に移っていく過程を見るのも楽しいもんだよ。
例えば、聖母子像だったら、時代が下るにつれ、椅子の奥行きが出てきたり、マリア様の顔に柔らかさが出てきたり、イエス様の顔がぽっちゃり子供らしくなったりと変化が表れてくるんだよ。
Giotto, Ognissanti Madonna, Uffizi |
アーチを使って人物を強調しつつ奥行きを出すのは、僕も「アテネの学堂」で使った手法さ。
ちなみに、美術史的には上で紹介したジョットさんからルネサンスが始まってるの。僕らの活躍した時代(ルネサンス盛期)とは、まだまだ隔たりを感じるかもしれないけど、ジョットさんもかなり苦心して「人間らしい聖母像」を描いていたんだよ。
中世からルネサンスへの移り変わりは、磔刑の図にも見て取れるよ。
左:Cimabue, キリスト磔刑, Santa Croce, 1270年ごろ
右:Jotto, キリスト磔刑, Tempio Malatestiano, 1300年ごろ
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十字架に打ち付けられてなお優美な左側のキリスト像と、苦痛を感じている顔や重力をでしなる体をした右のキリスト像には大きな変化がみられるよね。
というわけで、中世の絵を見るときは、様式美とその終焉に注目してもみると不機嫌そうな表情の聖母子像にも愛着がわくかもね。
さてと、今日こそは短くまとめようと思ってたんだけど、結局長くなっちゃった。
ではでは、今日はこのあたりで。
Ciao!
未完
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