2017/07/17

【B☆R】サン・ピエトロ大聖堂とS.Mマジョーレ教会

夕暮れのポポロ広場からのサン・ピエトロ大聖堂

Ciao!

ベルニーニ☆ラリーもとうとう、残すところあと2か所。ここまで来たら、ベルニーニさんだけじゃなくて、ローマについても結構詳しくなってきたんじゃないかな?

でも、まだラリーで行っていないローマの名所が一か所あるよね?そう。ヴァチカン市国!

今回はついに、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂へ行くよ。

チェックポイント9:サン・ピエトロ広場とサン・ピエトロ大聖堂

夜のサン・ピエトロ広場
夜のサン・ピエトロ広場

サン・ピエトロ大聖堂とその前に広がるサン・ピエトロ広場。

僕らの時代は、まだ大聖堂は建ってなくて、設計図すら教皇と建築責任者が変わるたびに書き換えられてたくらいだったんだ。

何を隠そう、この僕も死ぬまでの数年間ここの建築責任者をしてて、設計図とかも書いてたんだけど、死後に三毛さんに却下されて書き換えられちゃったんだ・・・。もし長生きしてたら、僕の作品として自慢できたのに、残念。

サン・ピエトロ大聖堂、ラファエロの設計図
僕が引いたサン・ピエトロ大聖堂の設計図。
後に三毛さんによって却下・破棄。悲しい。
Wikipediaより

最終的には三毛さん案で固まって、程度のところまで建築が進んだんだけど、身廊部分はマデルノさんって人がまた変更して、紆余曲折の末に今の姿になったんだ。

ベルニーニさんがプロジェクトに参加したのは1624年、26歳の時。大聖堂はなんとかハコが完成した状態で、いよいよ内装っていう段階だったんだ。僕の死後100年以上たっても、まだ完成してなかったことになるね。

ベルニーニさんへの最初の依頼は、大聖堂内部の大天蓋とその付近の装飾の設計だったらしいよ。

下の写真を見てみて。大聖堂自体が大きいからわかりにくいんだけど、高さ29mある巨大な天蓋を11年かけて完成させたんだ。

サン・ピエトロ大聖堂の大天蓋
サン・ピエトロ大聖堂の大天蓋。
奥に見える祭壇装飾もベルニーニさんが担当

建物の中にどうして屋根を?って思うかもしれないけど、もともとはヨーロッパの伝統的な王座の上の装飾から来ているんだ。でも、下の絵と比較してもわかる通り、規格外のサイズとド派手さでしょ?それが「思いっきりやる」をモットーとするバロック流であり、実現させられるのがベルニーニさんの腕前のすごさ。

一般的な天蓋
Wikipediaより

ベルニーニさん的には、布製の天蓋からインスピレーション得て、ひらひらの装飾とか房飾りもつけてるけど、全部青銅製さ。

サン・ピエトロ大聖堂の大天蓋、上部
上部正面には、教皇のシンボル教皇冠と
天国の鍵をもつケルビムたちがいるよ。

サン・ピエトロ大聖堂の大天蓋、支柱
柱を飾る枝は、オリーブとローリエ。
どちらもヨーロッパでは縁起の良い木だよ。

教皇ウルバヌス8世の紋章
柱の基部にはウルバヌス8世の蜂の紋章も。

教皇冠とカギが教皇の紋章になっているのは、初代教皇である聖ペトロ(ピエトロ)が、キリストから天国の鍵を受け取ったことを表しているんだ。

中村光先生、聖☆おにいさん(右がペトロ)
聖ペトロはキリストから天国の鍵を預かった。

その後、ファサードの鐘楼も依頼されたんだけど、このときの鐘楼にヒビが入ったのが原因で、ものすごい非難を浴びたベルニーニさんは一旦ヴァチカンから遠ざけられてしまうんだ。そこから、「真実」の製作に取り掛かるという流れさ。
「真実」のお話はこちら

再びヴァチカンから仕事を任されるようになって、作ったのがサン・ピエトロ広場。教皇アレクサンデル7世の命により、1656年から1667年に渡って造成されたんだ。

左右対称の回廊で囲まれた広場の入口は、大聖堂よりも狭く設計されていて、広場に入ると建物の大きさに圧倒される仕組みだよ。こういうサプライズも、バロックっぽいね。

外から見たサン・ピエトロ広場
大聖堂正面の通りからでは、建物の全容が見えにくく、
入ってびっくりというサプライズ仕様

上の方で、大天蓋の向こう側にチラ見えしてた祭壇周りの装飾も1556年~1566年の作品だから、広場と同時進行で作られたんだね。

サン・ピエトロ大聖堂の聖ペテロの椅子
大聖堂の祭壇周りの装飾「聖ペトロの椅子」も復帰後の作品

サン・ピエトロ大聖堂は事前予約できるのがガイド付きツアー(有料)だけで、昼間に個人で行こうとすると長蛇の列に並ばないといけないから、朝早くに行くのがおすすめ!見学は無料だけど、セキュリティチェックがあったよ。

サン・ピエトロ大聖堂のコロンナの礼拝堂
朝のお祈り@コロンナ礼拝堂 
祭壇彫刻は「レオ1世とアッティラの遭遇」かな?

コロンナ礼拝堂付近のアレクサンデル7世の霊廟も迫力満点。

アレクサンデル7世の霊廟
蔽いかぶさる布(もちろん色大理石だけど)を
払いのけて出てくる青銅の骸骨(中央)が見えるかな?

僕の絵が飾られた祭壇で祈っている人もたくさんいたよ。ちょっとムフフな気分☆

ラファエロ、キリストの変容
キリストの変容 by僕
本物はヴァチカン美術館で見てね

ちなみに、聖堂に入ってすぐ右手には、三毛さんのピエタがあるよ。
ピエタのお話はこちら

次は、とうとう、最後のチェックポイント。一旦、テルミニ駅方面に戻って、サンタ・マリア・マジョーレ教会に行ってみよう。


サン・ピエトロ広場と大聖堂への行き方
メトロA線、Ottaviano下車 10分
バス 34, 46, 64, 98, 190F, 881, 916, 916F, 982 Cavalleggeri/S. Pietro 3分
23, 34, 40, 982  Traspontina/conciliazione 徒歩5分



チェックポイント10:サンタ・マリア・マッジョーレ教会

サンタ・マリア・マッジョーレ教会、ローマ
朝のS・M・マッジョーレ教会。

サンタ・マリア・マッジョーレ教会は教皇シクスティス3世の命によって5世紀に建てられた由緒ある教会。その後、補修や建て増しを経て現在の形になったんだって。

猛暑の中を9か所巡って、ベルニーニ愛も高まってきたところで、この教会にある彼のお墓でベルニーニ☆ラリーの終着点と定めた僕。ゴール目指して、意気揚々と教会へ。

教会の中央にはドーンとそびえるシスティーナ礼拝堂。ここの天蓋も、なかなか立派。

システィーナ礼拝堂の天蓋

お墓があるのは、この礼拝堂かと思いきや、まさかの横の階段の1段目w。

なんということでしょう。
匠のアイデア収納スペースはお墓に!
みたいな。

ベルニーニさんは、ご両親と一緒にシンプルなこのお墓に入ったんだって。

ベルニーニのお墓
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ
芸術と都市の栄光
この下に休む

立派なお墓を建てる計画もあったらしいんだけど、結局建たずじまいで今に至るらしいよ。ローマ中にあれだけのものを残しておきながら、なんだか意外な最期。

ところでシスティーナ礼拝堂といえば、三毛さんがすごい絵を描いたヴァチカンのものが有名だけど、ヴァチカンはシクスティス4世の、サンタ・マリア・マッジョーレ教会はシクスティス5世の名前にちなんでるんだ。

シクスティヌスs
左が4世、右が5世

思ってたよりお墓が小さくて、正直なところちょっとがっかりしたんだけども、まあ、「思ってたほどアレじゃなかった」っていうのは、旅につきものだからね。うん。シンガポールのマーライオンとか、いい例じゃない?

ちなみに僕がイメージしてたお墓はこんな感じ↓

【参考】フィレンツェにある三毛さんのお墓。
天井までそびえたつ。

なんか、個人的には三毛さんに負けてほしくなかったなぁ。残念だ!

というわけで、僕のベルニーニ☆ラリーは若干の消化不良のまま、ここで終わったのさ。

さてさて、全10か所のベルニーニ☆ラリーはいかがだったかな?全部回れば、キミもベルニーニ通になること間違いなし!


サンタ・マリア・マッジョーレ教会へのアクセス
テルミニ駅から徒歩5分


では、今回は、この辺で!Ciao!

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