ミケランジェロさんの生涯後半二回目は、ミケランジェロさんの人間関係について語るよ。僕やダヴィンチさんとの確執が明らかに!
なるかも・・・
5.人間不信とメランコリー
ミケランジェロさんは人間関係の構築がお世辞にもうまいとは言えないタイプだったんだ。少なくとも、社交的だった僕に比べたら、それはもう全然ダメなレベル。
僕の印象は、ギリシャ時代の哲学者ヘラクレイトスってかんじかな。
僕の作品・アテナイの学堂のヘラクレイトス。 もちろんモデルはミケランジェロさん |
その一方で、一旦仲良くなると情が厚いし、親切で面倒見も良かったみたい。こういう几帳面さと優しさを兼ね備えてる人って、うつになりやすいらしくて、ミケランジェロさんも不眠症の時期が短からずあったみたい。
しかも、自分にとって不測の事態や望まない状況に置かれると、これは誰かの陰謀じゃないかと勘繰ってしまう極度の人間不信。だから、意見の相違があったダヴィンチさんや、仕事で同じようなポジションを争っていた僕とは相容れなかったんだ。
とはいえ、強敵と書いてトモと読むっていう北斗の拳の法則からすると、僕らはすごく仲が良かったともいえるよ。
むしろあの人は本気で気に入らない人は、無視だから!その被害者の最たる例は、ナンニ・ディ・バッチョ・ビージョさん。
僕から見ると、彼は熱心なミケランジェロさんのファンで、デッサンをまねたり、ピエタの良質な複製を作ってたんだけど、ミケランジェロさんは彼の才能を認めないばかりか、人間不信の悪い癖から「自分を踏み台にして目立とうとしてる若造」という目でしか見てなかったんだ。
だから「無能者と戦っても何も得るものはないさ」(ヴァザーリ、芸術家列伝)と、彼の存在をガン無視。アピールしても構ってもらえないナンニさんは悲しかっただろうな。
じゃあ、僕は構ってもらってたのかというと、ものすごくあまのじゃくな方法で構ってもらってたよ(笑)
ある時僕がセバスティアーノ・デル・ピオンボくんって言う同年代の芸術家と競作したことがあったんだけど、彼はミケランジェロさんと仲が良かったの。ミケランジェロさんは僕が評価されるのが嫌だったみたいで、彼に図案を渡したり、アドバイスしたりと、裏で入れ知恵してたらしい。
Sebastiano del Piombo, The Raising of Lazarus National Gallery London その時のセバスティアーノ君の作品 |
Raphael,Transfiguration, Pinacoteca vaticana その時の僕の作品 |
僕から見たら、明らかに営業妨害だし、いつも他人の陰謀論を語ってるミケランジェロさんの方がよっぽど積極的に陰謀を巡らせてると思うんだけど、いかんせん「芸術家列伝」の作者のヴァザーリさんがミケランジェロ派だったから、そのことについては一切悪く書かれてないんだよね。
とはいえ、なんだかんだで無視されてなかった僕は、ミケランジェロさんに一目置かれてたってこと!それに、きっとこういった意地悪は愛情表現の裏返しなんだ。これは、強がりじゃないからね!
さて、そんなミケランジェロさんに突然の不幸が襲う。それは、ダヴィンチさんと僕の死。強敵であり、友であり、自他ともに認めるミケランジェロさんのライバルだった僕ら二人は1519年と1520年に相次いでこの世を去った。(当時ミケランジェロさんは44~45歳)
いろんな文献で僕らとミケランジェロさんとの不仲説が書かれてるけど、なんだかんだ言って刺激し合ったいい仲間だったはずだから、僕ら二人が死んだときにはずいぶんと悲しんだはずだよ。
きっと、お母さんが亡くなった時と同じくらいの悲しみだっただろうということで、グラフ⑦の落ち込みはお母さんの時と同じ120!(グラフ⑦)
あ、なんか自分のことばっかり話して、ミケランジェロさんの作品を一つも紹介してなかったね。
Michelangelo, Christ the Redeemer adjusted Santa Maria sopra Minerva 1524年(46歳)頃の作品 |
それでは今回はここまで。
またね~。Ciao!
【おまけ】
今月の25日までミケランジェロさんとセバスティアーノくんの企画展がロンドンのナショナルギャラリーでやってるよ~。
【参考文献】
ジョルジョ・バザーリ 芸術家列伝3
ミケランジェロ日本語版、ブルーノ・コンタルディ/ジューリオ・C・アルガン、Giunti
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