2017/06/16

ミケランジェロさんの生涯【後編】4


ミケランジェロさんの生涯シリーズも今回が最終回!それでは、さくっと行ってみよう!


70歳を過ぎたあたりから、ミケランジェロさんは沈みがちになる。(グラフ⑨の終わり)

理由は・・・



まあ、年齢的にももう若いとは言えない歳だし、同世代の人はなく亡くなってくよね。

そういうわけで、ミケランジェロさんは近しい人を短期間に何人も失ってしまう。

まず最初の痛手は、ヴィットリア・コロンナさんという詩人とのお別れ。彼女とは――そう、この人は女性なんだけど――互いに詩を交換し合い、一緒に詩集を発表しようと語り合っていた仲だったんだけど、1547年に55歳で亡くなってしまう。

ヴィットリアさんが女性ということで、みんなが気になるのは彼女とミケランジェロさんの関係じゃないかな?
ヴィットリア・コロンナ肖像
ヴィットリアさんの肖像byミケランジェロさん

これに関しては、うーん・・・みんなの期待に反して、彼らの関係はただのお友達だったのではないか、というのが大方の意見さ。でも、彼女を失ったことは相当ショックだった見たい。

ヴィットリアさんの死に続いて、翌年には弟のジョバンさんを、さらに翌年にはパトロンであった教皇パウロス3世を失い、1556年にはずっと自分の身の回りの世話をしてくれていた使用人のウルビーノさんを失ったんだ。(グラフ⑩)

ウルビーノといえば、僕も出身地から「ウルビーノのラファエロ」って名乗ってたんだけど、彼はまた別のウルビーノで、長年にわたってミケランジェロさんに仕え、よき理解者であり、家族のような存在だったんだ。

10年のうちに、大切な人を立て続けに失ったミケランジェロさんは、自らの死というものに向き合わざるを得なくなっていく。

そして、ウルビーノさんが死んだ同じ年の9月には、フランス軍がローマに接近し、危機を感じたミケランジェロさんは一時的にローマを離れたりもしているんだ。

さて、話は少し戻って、下の写真のピエタ像は、弟のジョバンさんが亡くなったころに作り始めたものなんだけど、ミケランジェロさんはこれを自分のお墓に飾るために作り始めたと言われているよ。

ミケランジェロ、フィレンツェのピエタ
Michelangelo, The Deposition,
Museo dell'Opera del Duomo
78歳の作品
最終的には石の材質の問題で、制作を断念してしまうんだけど(キリストの左足がないでしょ?)、未完成の状態でも、青年期に作ったピエタとは全く違い、造形に固執せず、美しさよりも死の悲惨さを追求しているのが伝わってくるよね。

さて、老年に入り、パオリーナ礼拝堂の仕事の後、フレスコ画を描かなくなったミケランジェロさんは、建築の仕事に打ち込むようになる。(上のピエタはあくまで自分のためのものだからね)

彼はもう芸術に携わりたいとは考えていなかったみたい。このころの詩は、過去にあれだけ成功した芸術家としての自分に、かなり否定的になってるよ。

つまらない人形を作ることが一体何の
役に立つというのか、それが私を追い詰め
海に出て藻屑の中に溺れた者のようにしたのなら
高尚な芸術は、しばらくの間
私を賞賛の的としたが、結局のところは
他人の力に屈する老いた貧しい下僕にした
やつれ衰えるか、さもなくば早死にするか
Che giova voler fare tanti bambocci,
Se mi ha condotto al fin, come colui
che passo 'l mar e poi affogo ne' mocci?
L'arte pregiata, ov'alcun tempo fui
di tanta opinion, mi rec'a questo,
povero, vecchio e servo in forz'altrui
ch'io son disfatto s'i'non muoio presto
あれだけ彫刻を作っておいてそれを「つまらない人形」だなんて、相当病んでるよね。

そんなわけで、彼はもう彫刻の仕事も受けることが無くなったんだ。でも、建築の仕事では1552年にカンピドリオ広場の設計をしているよ。
ミケランジェロ、カンピドリオ広場
ローマのカンピドリオ広場
建築の仕事を受けながら、仲間との交流もあり、たまに気分が落ち込むこともあったみたいだけど、少しずつ元気を取り戻してきたミケランジェロさん。(グラフ⑪)

本人は「もう死ぬことにしか気力がない」とか、わけわかんないことを愚痴ってたけど、なんだかんだ言いながら、死の直前まで仕事に打ち込んでいたんだよ。

設計の仕事で最後のものとされているのが1563年から1564年にかけて関わった、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会のプロジェクトで、これはローマ時代の浴場をキリスト教会へ変えるという大事業だったんだよ。

サンタ・マリア・デッリ・アンッジェリ教会の外観
ローマ時代の遺跡を生かしているのがわかるね
そして、1564年2月18日にミケランジェロさんはローマの自宅にて息を引き取る。享年89歳。90歳を目前にした死だった。

妻も子供もいなかったけど、最期は友人たちに囲まれて息を引き取ったと言われているよ。甥っ子がフィレンツェから向かっていたんだけど、死に目には会えなかったんだって。

彼は死のずいぶん前から、死について考えていたし、資産の処理や遺産相続についても割かしきちんと準備をしていたから、親せき間の泥沼の構想もなく、死後の事務処理はつつがなく進められたんだって。やっぱり、こういう準備って大切だよね。

84歳くらいから制作を開始したのは下のピエタは未完のまま残されている。
ミケランジェロ、ロンダニ―二のピエタ
Michelangelo, Pietà Rondanini
Sforza Castle
未完となったロンダニー二のピエタ
この作品も、もう造形へのこだわりは見られないね。母が息子を支えているのか、息子が母をおぶっているのか、どちらともとれる姿が、なんとも物悲しくも力強くあるね。


ミケランジェロさんの遺体は故郷フィレンツェへ送られ、サンタ・クローチェ教会のお墓に入った。このお墓はヴァザーリさんはじめ、仲間たちによってつくられたんだよ。敵も多かったけど、温かい仲間にも恵まれたいい人生だったんじゃないかな?
ミケランジェロ、墓
ミケランジェロさんのお墓

さて、だいぶと長くなっちゃったけど、ミケランジェロさんの生涯のお話はこれでおしまい。ミケランジェロさんに来てもらえなかったのは残念だけど、まあ、無事に終わったから良しとするよ。

では、またね~。Ciao!
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