2017/06/10

ミケランジェロさんの生涯【後編】1

ミケランジェノさん 人生のハッピー度
ミケランジェノさん 人生のハッピー度

前回はミケランジェロさんの誕生から30歳までの人生に迫ったね。

ミケランジェロさんは89年間も生たワケで、37歳で死んだ僕みたいにギュっと濃い人生を送ったわけじゃないけど、それでもじゅうぶんに濃い青春時代だったでしょ?

あまりの濃さに僕も書くのが大変だから、これからは小分けにいくことにしたよ。

ミケランジェロさんの人生ハッピー度グラフ♡【後半生】


4.教皇ユリウス二世との衝突と友情
三十路を迎えたミケランジェロさんに、ある日ものすごく光栄な依頼が舞い込むんだ。それは時の教皇ユリウス2世さんからのお墓のデザインと彫刻の依頼!

ミケランジェロさんは喜び勇んで、フィレンツェで受けていたダヴィンチさんとの競作「カッシナの戦い」を放棄してローマへと向かう。
バスティアーノ・ダ・サンガッロ、カッシナノ戦いの模写
筋肉で埋め尽くされたカッシナの戦い。実現していたらそれはそれで事件
この依頼が後々とんでもない展開に発展し、ミケランジェロさんを絶えず悩ますことになるとも知らずに・・・。

ミケランジェロさんのこの件への入れ込み具合はハンパなくて、まず、自分で石切り場まで石を探しに行っちゃったんだ。石切り場のカッラーラからローマまで結構な距離を船で運送したんだよ。

カッラーラからローマへの運送は船で
この案件は後のち長きに渡ってミケランジェロさんを苦しめることになるんだけど、まずは石がローマの広場について、運賃を払うことになった時に最初のケチがつく。

ミケランジェロさんは石の代金を依頼主の教皇が払ってくれるものだと思っていたんだけど、教皇は忙しくてミケランジェロさんが会いに行っても出てこなかったらしい。仕方がないから、ひとまずミケランジェロさんが立て替えておいたんだけど、次の日行っても、その次の日行っても教皇には会えず、忙しいからと追い返される始末。

「自分は全然大事にされてない!」と思ったミケランジェロさんはとうとうフィレンツェへ帰ってしまうんだ。(グラフ⑤)

その後、教皇からの手紙も全て無視して、一向にローマにもどろうとしないことに気をもんだフィレンツェの上層部から「あなたが教皇ともめたら外交問題になるから、ひとまず侘びを入れに行って」と説得され、戦争に出陣中の教皇がいるボローニャへ謝りに行って和解。仲直りのしるしに、戦勝記念像の仕事までもら抜け目なきミケランジェロさんには尊敬を禁じ得ないよ。あ、尊敬しちゃダメなんだった。今回はディスらないと。

記念像が完成した後、ミケランジェロさんはもともとの依頼だった、お墓の設計と制作に戻ろうとするんだけど、そこでまたしても横やりが入る。

教皇から急に、システィーナ礼拝堂の内装を先にして欲しいとの依頼があったんだ。ミケランジェロさんは彫刻家としての自負が強かったから、「なぜ自分に絵を依頼を出すんだ?」といぶかしむ。

さらに、あんなにお墓の完成を楽しみにしていた教皇の心変わりも怪しんで、「これはきっとあのウルビーノから来た、自分よりかっこよくて、自分より仕事ができて、自分より人徳のある、神のごとき青年が裏で糸を引いているに違いない。下手な絵を描かせてい自分を笑いものにするつもりだ」って勝手な妄想を膨らますんだ。あ、この青年は僕で、太字部分は僕の妄想ね。
ラファエロ、アテナイの学堂
当時僕がバチカン宮で描いてた絵 アテナイの学堂

実際は教皇の気が変わりやすい性格と、当時の不安定な社会状況から優先順位が変わっただけなんだけどね。僕が陰謀を企ててたって話はヴァザーリさんの芸術家列伝にも載せられてて、なんだか納得いかないなぁ。

とはいうものの、不屈の人ミケランジェロさんはなんやかんやあって、1512年には4年かけて壮大な天井画を完成させちゃうの。しかも、みんなから絶賛の嵐!恥をかくこともなく、名実ともにイタリア随一のアーティストと認められるんだ。(グラフの⑥)
ミケランジェロ、システィーナ礼拝堂天井画
ミケランジェロさんによるシスティーナ礼拝堂天井画
ちなみに、完成の前年に見学に来た教皇に「いつ終わるの?」と聞かれて「自分がいいと思ったら終わります」と答えてしまい、教皇から「あんたねぇ、納期ってものがあるでしょうが!」って怒られた事が⑥直前のへこみの原因ね。

この天井画の完成を見守るようにして、教皇ユリウス2世は翌1513年に他界。結局お墓は間に合わなかったんだけど、喧嘩しながらも良い付き合いを続けたユリウス2世とのお墓の約束はきっと果たそうと心に誓ったミケランジェロさんなのでありました。

その後、このお墓の一件は、歴代の教皇から「そんなもん後にしなさい。ほかに頼みたい仕事があるんだから」と邪険にされ、ユリウス2世の相続人には「金は払ったんだから、さっさと完成させろ!」と恫喝され、もめにもめてミケランジェロさんを板挟みにしていくんだ。

ミケランジェロさん曰く「墓の悲劇」(笑)

妥協案として、「ミケランジェロ監修、弟子制作」っていう形で1545年(最初の計画から40年後)にやっと完成させるんだけど、規模は当初案より随分小さくなっての尻すぼみな終わり方でしたとさ。

不本意な形になったにせよ、筋は通したいミケランジェロさんのことだから、この仕事が終わった時にはほっとしたんじゃないかな?ユリウス2世さんとの友情にも報えたわけだしね。

さて、今回はここまで。後半の2に続くよー。
それではまたね。Ciao!

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【参考文献】
ミケランジェロ日本語版、ブルーノ・コンタルディ/ジューリオ・C・アルガン、Giunti

芸術家列伝3 ジョルジュ・ヴァザーリ

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