2017/06/07

ミケランジェロさんの生涯【前半】

Daniele da Volterra, Portrait of Michelangelo
Metropolitan Museum
Ciao!

僕が昔好きだったテレビ番組に、「いつみっても波瀾万丈」っていうのがあるんだけど、覚えている人いるかな?

実は今回の記事は、その番組みたいな流れで、ミケランジェロさんを交えて進めていきたかったんだけど、前にも話した通り、ミケランジェロさんが見つからなかったから、1人で進めていくことにするね。

ミケランジェロさんのうっすーい人生なんてそんなに語ることがないと思ってたんだけど、僕としたことが熱くなってしまったので、今回は二回に分けて書くね。さらに、89年の生涯をわかりやすく紹介するために、下の図を作ってみたよ。
ミケランジェロさんの人生ハッピー度グラフ♡【前半生】

今回は、このグラフに従って進めていくよ。



1.幼少期
ミケランジェロさんは1475年3月6日生まれのうお座だよ。経営していた銀行が倒産して、公務員として働いていたお父さんは、別段深い考えもなく(ヴァサーリ芸術家列伝による)、生まれてきた子供に「ミケランジェロ」と名付けたんだって。

ミケランジェロさんは3歳まで、フィレンツェ近郊の街の乳母の下に預けられるんだ。この町は、良質な石材が取れることで有名で、乳母の家も石工だったことから、彼は後に自分が彫刻に興味を持ったのは、石工の乳母のミルクを飲んで育ったからかも、な~んて言ってるよ。

さて、ミケランジェロさんが6歳になったころ、不幸にもお母さんが亡くなってしまうんだ。それが、グラフでいう①の落ちこみの所ね。

6歳の男の子にとって、お母さんの死はどんなにつらかっただろうね。さらに彼は、この時期から学校に行きはじめる。彼の家は決して裕福ではなかったんだけど、お父さんはミケランジェロさんきちんと教育を受けさせて、商人にでもなってくれればと願っていたんだ。

にもかかわらず。ミケランジェロさんは学校の勉強に興味が持てず、絵ばかり描いている少年だったんだって。それで、お父さんにもずいぶん怒られたみたい。

ちなみに、僕が生まれたのはちょうどこのころ。蛇足ついでに、ダヴィンチさんはこのころ、岩窟の聖母を描いてたらしいよ。

さて、最初は息子を承認にさせようとしてたミケランジェロさんのお父さんだけど、最終的には息子の好きなことをさせてあげようと、息子が13歳になった年に画家のギルランダイオ親方の所に見習いとして預けることにしたんだ。

彼はそこで早々にして頭角を現し、新入りはお月謝を払うのが普通な中で、1年目が終わるころには、逆に給料をもらえるまでに成長したんだ。まあ、お父さんのコネの力(家柄)が良かったっていうのもあったのかもしれないけど。貧乏だけど血筋だけはよかったんだ。

さて、ここから、ミケランジェロさんの芸術家人生が本格的に始動するよ。グラフも一気に右肩上がりだね(②)

ミケランジェロ、聖アントニウスの苦悩
ミケランジェロさん当時の作品
(出回っていた銅版画を独自に着色したもの)

そして翌年、画家見習いということで、工房に入ったミケランジェロさんに早々にして転機が訪れる。

フィレンツェでは右に出る者がいない名家・メディチ家のロレンツォさん(イル・マニーフィコ=豪華王とも呼ばれるよ)が、彫刻家の育成学校を作ることになり、見込みがありそうな子がいたら推薦してほしいとギルランダイオ親方に言ってきたんだ。

そこで親方が選んだのが、ミケランジェロさんと、年上の見習い仲間のフランチェスコ・グラナッチさんだたわけ。ここでも、お父さんの家柄の力が物を言ったっていう説があるよ。お父さんはロレンツォさんと遠縁の親せきだったんだって。当時は、たとえ遠縁であっても血縁関係っていうのはすごく大事だったから、その力が働いたのかもね。

いずれにせよ、ミケランジェロさん14歳、彫刻経験なしでの新たなる門出がここから始まるんだ。


2.彫刻学校から独り立ちまで
サンマルコの庭と呼ばれたロレンツェさんの学校には、ローマ時代の像やら古い絵画やらが飾られていたんだけど、ミケランジェロさんはそういったものにとても興味があって、よく勉強していたらしい。

さらに、学校ではほかの生徒とお互いに切磋琢磨しながら、時には喧嘩しながら成長していったわけ。青春だねぇ。(実際、このころの喧嘩で、ミケランジェロさんは鼻を折って以来、鼻が曲がってしまったんだよ!)

ミケランジェロ、ケンタウロスの戦い
当時の作品の一つ
Michelangelo, Battle of the Centaurs, Casa Buonarroti

そんな学園生活もロレンツォさんの死で幕を閉じる。享年43歳。若い死だった。息子さんもいたけど、まだ若く、学校を継ぐ気もなかったようなので、ミケランジェロさんはいったん実家に帰ることにしたんだ。

実家では、お父さんは再婚し、一番上のお兄さんは修道士になって家を出ていた。お父さんの仕事は相変わらず安月給だし、家に残された幼い弟たち(ミケランジェロさんは5人兄弟の次男)の為にも、当時17歳のミケランジェロさんもさっそく仕事を探すことになるんだ。

ミケランジェロ、磔刑像
Michelangelo, Crucifix, Santo Spirito
ミケランジェロさんの彫刻作品では唯一木製で
かつ筋肉少なめな仕上がり。でも全裸だね。

上の磔刑図は、ミケランジェロさんが聖スピーリト教会の計らいで解剖学を学んでいた時に作ったものだよ。解剖学といっても座学ではなく、杉田玄白さんの言うところの「腑分け」だね。実際に自分の手で囚人の死体を解剖するから、そのせいでミケランジェロさんはご飯が食べれなくなっちゃったんだって。

ミケランジェロさんは、彫刻学校が閉鎖された後も、ロレンツォさんの息子であるピエロさんと仲が良かったんだけど、この人はリーダーとしての素質がなくて、フランス軍に付け入るスキを与えてしまい失脚。フィレンツェを追放される。

メディチ家と深いかかわりのあったミケランジェロさんは、自分の身にも厄介な状況が及ぶのを恐れて、逃げるようにヴェネチアに旅立った。1494年、19歳の旅立ち(③のあたり)。


3.30歳までにトップアーティストに
逃げるようにフィレンツェを離れて、ヴェネチアに着いたミケランジェロさんだったんだけど、意外と早くフィレンツェに帰る気になったみたい。

でも、急いで出てきたため、通行証を持っていなくて、ヴェネチアからの帰路にボローニャで足止めを喰らってしまう。困っていたところに地元の名士アルトヴランディさんが助けてくれて、彼の下でしばらくお世話になるんだ。

Michelangelo, Angel, San Domenico Bologna
その時に街の教会のために作った天使型の燭台
その後にフィレンツェに帰ったミケランジェロさんは、なんととある詐欺事件に関与してしまうんだ。

厄介を避けるためにヴェネチアまで逃げたほどのチキンな人が、自ら犯罪のにおいのする方に飛び込んでいくのも変な話だけど、これにはミケランジェロさんの苦しい懐事情が大いに関係してるんだ。

ミケランジェロさんのいない1年の間に、フィレンツェでは宗教的な観点から贅沢を許さないっていう風潮が出来上がっていて、彫刻の仕事も依頼金額の相場もぐっと減ってしまったの。

ミケランジェロさんも節約して何とかしのごうとしたんだけど、実家の弟たちへの仕送りもあってどうしてもモノ要りだから、ついに闇の世界に手を出してしまった。

具体的には、自分で作ったキューピットの彫刻をアンティーク風に加工して、知人と共謀して高値で売却したの。結構ガチで悪いことしてるでしょ?でも、ここでミラクルを引き寄せる力を持っているのがミケランジェロさんなの!

このキューピット像は目利きの蒐集家ラファエレ・リアリオさんに買い取られて、真実が露見してしまったんだけど、この人がすごい人で、「たとえアンティークじゃなかったとしても、これはいい作品だ。作った人に会いたい!」と、なんとローマに招待してくれたの。1496年、21歳の転機。

そこから盛り返して、2年後(1498年)にはピエタを作り、5年後(1501年)にはダヴィデの依頼を受けるまでになる。

ダヴィデ像の完成は1504年で、お披露目の時にはものみんな絶賛だったっていうから、30歳を前にして、飛ぶ鳥を落とす勢いのトップアーティストに上りつめたんだ。

ミケランジェロ、ピエタ
Michelangelo, Pietà 1497-1498

Michelangelo, David 1501-1504
グラフの④の絶頂期の中でちょっと落ち込んでるのは、ミラノにフランス軍が攻め込むという戦争のため。当時は動乱の時代だったからね。この影響でダヴィンチさんもフィレンツェに帰ってきてたんだけど、ダヴィデの置き場所についてミケランジェロさんとひと悶着あったらしい(笑)2人とも頑固だからな。

さて、今回はここまで。後半生はまた次回ね。
それじゃあ、またね。Ciao!

【参考文献】
ミケランジェロ日本語版、ブルーノ・コンタルディ/ジューリオ・C・アルガン、Giunti

芸術家列伝3 ジョルジュ・ヴァザーリ

Michelangelo for Kids: His Life and Ideas, with 21 Activities, Simonetta Carr



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