ありし日のポールとドメニカ |
真実は小説より奇なりとは言うけれど、昨日、興味本位で調べてみたギヨーム家の真実がめちゃめちゃ興味深かったから、特に何の足しにもならない豆知識だけど紹介するね。
語り手は、あらすじを語り始めたら止まらない、ネタバレする男さんだよ。
↓ギヨームコレクションについてはこの記事をみてね↓
オランジェリー美術館(印象派めぐり2)
1.ギヨーム家、悲劇までのプロローグ
自動車整備工として働いていたポールは、ある日、アフリカから届いた荷物(タイヤのゴム)の中に仮面を見つける。ひらめきを感じた彼は、アフリカの民芸品を輸入することを決意し、販路開拓に取り組むこと。
一方、都会での華やかな生活にあこがれ、手袋が特産品の田舎町からパリへと上京してきたジュリエッタは、デパートの手袋売り場へ配属されるのであった。
ポールはモンマルトルで若い芸術家と接触し、自分が輸入したアフリカの民芸品を売り込もうとするが、出世払いの名のもとに代金の代わりに画家たちの描いた絵を渡される。このことが彼に画商への転身を促したのであった。
そのころ、ジュリエッタは手袋販売の職を辞し、ナイトクラブのクローク係という新たなキャリアを歩み始める。この決断が功を奏し、ポールとジュリエッタは出会い、1920年に二人は結婚。この機にジュリエッタは、ドメニカと名前を改める。
あれよあれよという間に、画商として成功し、パリに豪奢なアパルトマンを構えるまでになったポールの生活は、順風満帆に思われた。
しかし、物語は新たなる展開へ!
2.ここが変だよ、ポールの死
1934年にポールが謎の死を遂げたことから、全ては始まる。実は、この死には不審な点が多いのだ。
2-1不審な死因
まず、その死因。盲腸をほったらかしたことから腹膜炎になり、そこから敗血症を併発しての死という、信じられないような死因である。
お金がなくて病院に罹れない家庭ならいざ知らず、経済力のあるポールがこのような死を遂げるのは解せないと感じた周囲の人間は、妻であるドメニカへ疑いの目を向け始める。
2-2死後に追加された遺言
死因に続く二つ目の謎は、死後10日たってから新たに加えられた遺言状の変更だ。なぜか当時は問題視されなかったが、死後の遺言とは果たして誰の意思なのか。
裏でDの意志が働いていたであろうことは明白である。
2-3謎の子供
極めつけの怪しさは、ポールの死後に公にされたドメニカの妊娠である。
さらに「極めつけの怪しさ」に拍車をかける形で、その子が実は養子だったことが後々明らかになる。極めつけの怪しさの向こう側である。
一連の怪しすぎる状況に、ドメニカが遺産欲しさに「ギヨーム・ジュニア」を仕立て上げたと周囲が疑ったことは疑いの余地がない。
この子供は、ブラックマーケットで買われたとも言われたが、大きくなるとポールに似てきたとの証言もある。真の母親は最後まで明るみに出ることはなく、謎のままとなっている。
3.ドメニカ、2度目の結婚と夫の死
ドメニカは1941年に、これまた富豪のウォルターと再婚する。2人の関係はポールの生前から続いていたと言われ、ゲス不倫ながらも、10年以上貫き通した真の愛という矛盾をはらんでいた。
しかし、真の愛の終わりは結婚後間もなくやってきた。ドメニカはモーリスという間男を作り、1957年にはウォルターが不審な死を遂げる。事故に遭った夫ウォルターを、間男モーリスの車で病院に送り届けようとた途上において、ウォルターが息を引き取ったのである。
なぜ救急車を呼ばずにわざわざモーリスの車に乗せて病院へ向かったのか。密室の車内で何かがあったことを疑わずにはいられないことに疑いの余地はない。
4.息子を暗殺未遂
ギヨームさんの死後に生まれた(実際は養子縁組)息子を、ドメニカは可愛がることはなく、息子への疎ましい気持ちは最終的には殺意に変わる。この辺りの発想の転換は常人には理解しがたいものである。
モーリスや自らの兄弟と共謀し、ドメニカは息子の暗殺を企てる。たくらみは未遂に終わったが、ドメニカはコレクションの一部を国に接収された。
しかし、ここでドメニカを逮捕・収監しなかったのは、検察の怠慢である。彼女は、その後何度も息子を陥れようとするのだから。
5.再び息子をハニートラップ未遂
遺産を守ろうとして逆に接収されるという失態を犯したドメニカであったが、彼女は鋼のメンタルをもってしてこの苦境を乗り越える。つまり、息子をハニートラップにかけようと、性懲りもなく再び画策するのだった。
身元を偽って娼婦を息子に近づかせ、息子が売春業で稼いでいると中傷しようと目論んだが、娼婦がドメニカの兄弟の関与を打ち明けて計画はおじゃん。首謀者とされた兄のジャン・ラカゼが逮捕・収監された。
6.それでもめげずに息子を糾弾
常人であればそろそろ諦めるような状況でも、騎虎の勢いで突き進むのがドメニカ流である。この粘り強さには、かの安西先生も舌を巻くことを禁じえない。
粘り強さの大切さを説く安西先生 |
彼女は会見を開き、自分は被害者で息子こそが自分を陥れようとしていると息子を糾弾したのであった。しかし、言わずもなであるがもう信じる人はいない。
結局、恋人のモーリスが投獄され、この件はあっけなく終わる。
7.ドメニカの狂気
その後、息子はなんやかんやあって渡米する。毒親から逃げたい一心であったのだろう。しかし後に知人を通して母が自分に会いたがっていると聞かされ、特殊なことに母のもとを訪れる決心をする。
しかし、海を越えて戻ってきた息子にドメニカが発したのは、「手切れ金を払うから養子縁組は解消して」という冷たい言葉であった。
どんだけ遺産相続にこだわんねん!
すまない、少々取り乱してしまったようだ。
息子はその求めには応じず、失意のままアメリカへ帰った。2人は最期まで和解することなく、1977年にドメニカはこの世を去る。
巨万の富、膨大な絵画コレクション、豪華な生活・・・。様々な誘惑が彼女を襲い、渦巻く狂気に飲み込まれた彼女もまた被害者なのだろうか?
否。ただのクズであろう。
遺産はポールの遺言通り、妻の死後に美術館に寄贈され、今ではオランジェリー美術館の目玉となっている。遺言には、「子供ができた場合は子供にも遺産を残すよん」と記されていたが、息子への遺産配分がどうなったのかを知る資料は見当たらなかった。
終~Fin~
ネタバレする男さん、どうもありがとう!昼ドラ顔負けのギヨーム家の悲劇。どうだった?僕はちょっとお腹いっぱい。
あ、ちなみに情報源はwikiとかネット記事だし、半ば伝説化して盛られてる部分もあると思うから、話半分に聞いといてね~。
Paul Guillaume wiki
Domenica Guillaume Walter wiki
ギヨーム一家についてめっちゃまとめてあったページ
ギヨーム一家について軽くまとめてあったページ
今回は、美術ブログとは思えない内容だったけど、次回からまた美術に戻るね。
ではまたね~。Ciao!
raphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphael
あなたがクリックをしてくれることは疑いの余地がない
raphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphaelraphael
0 件のコメント:
コメントを投稿